日本よ、この期に及んで「古文・漢文」が必要だというのか https://anond.hatelabo.jp/20180104132743
はてなブックマークを見ていたら、上記のことがあったので。
ちょっと思うところがあったので書きます。
ようはこの人の主張は「大学受験という人生を左右する場で古文・漢文を強要するな」ということだと思うんだけど、どうだろうか?
古文・漢文が不要だという意見は分かる。
なぜ法律を学びたくで大学を受験しているのに、古文・漢文ができないから落ちなきゃいけないんだという不満点も理解できる。
でも、だから古文・漢文は不要だというと何かおかしい気がする。
追記で反論に否定されているけど、その論調はどの科目にも当てはまるんじゃないかな。
「英語や数学だっていらない」
→これに関してはある程度の偏見を認めるが、少なくともおれは使っている。それはともかく、ここでは「古文・漢文」が受験科目として必要かどうかの話しかしていない。「いらないって言い出したらきりがない」だから「古文・漢文」は「いる」ってことか? 論点をすり替えるな。
いや、 だから何で古文・漢文だけ目の敵にするんだよって話だと思うんだけどなぁ。
自分は好きな科目だから偏見が入っているのは認めるけど、嫌いな科目だからって偏見が強すぎる気がする。
ちなみに、大学側からすれば入試なんてものは「高校で習ってるはずだし、ちゃんと理解できてるでしょ? それぐらいはできる能力を持ってる人がほしいから受験科目にしておくね」ってことだから、大学で使わないのに受験科目にする理由は説明できるんだけどさ。
単純に、大学で専門教育をするってなった時に、高校の勉強を自力で遂行できる能力のある人が欲しいってこと。で、できれば能力が高いほうがいい。
とにかく、古文・漢文を受験科目にするなっていうなら高校の授業内容から変えなきゃダメだよ。
そうなると、よく歴史が苦手な人が「歴史なんて習っても役に立たない」論調と同じになる。
「嫌いだからやりたくない。何で、皆がやらなきゃいけないんだ。押し付けるのがおかしい。教養なんてものは、大学でやりたい人が身につければ良いんだ。」
大学受験の話から、一気に義務教育で習う科目の是非の話まで年齢層が下がっちゃうんだけど、その話でも論点のすり替えになっちゃうのかな。
ちなみに国語という科目が存在するのなら古文・漢文の教養は必須だと思う。
今の言葉ができあがったのも、中国の影響が強くて、その頃の日本人が書いてきたものがあって、今の現代文があるから。
お偉いさんがそれをちゃんと学ばせたいのなら、消えることはない。
やり方は工夫していかなきゃいけないとは思うけど。
教養だからいらない、じゃなくて教養を身につけることのできる能力がある子を育てたいってことだから。今の指導って。
どんな教養がいいかなって選んでいる時に、国語って科目の中で古文・漢文があったわけだ。
古文・漢文はいらないってのなら他にもいらないものがある。
でも、必要のない教養もいるってわけなので他の教養科目を持ってこなきゃいけなくなるけどさ。
教養としての必要性を否定するのであれば、もっと必要な教養って今の科目の枠の中で何がありますかね?
もっと良い方法があるなら、是非教育改革を。
それに関しては、良い方法を見つけたくはあるんだよなぁ。
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